うれしい気持ち
ちぎってはポイ、拾ってはポイ、を繰り返しながらもムシャムシャ食べてくれた、この日の息子のお昼ごはんはパンケーキでした。
親の自己満足が120%くらいのメニューだったので、「感動の強要は良くないぞ」と肝に命じつつ。それでも、おいしそうに食べてくれる彼を見て、思わず口元がゆるんでしまった。

離乳食ではもうないけれど、「こんなのどうかな」と新しいことをしてみた時ほど無反応だったり嫌がったりして、てきとうにこさえた納豆ごはんの方をおいしそうに食べたりする。
そういう時、心の中には“ふたりの自分”が現れる。
「とほほ……」と肩を落とす自分と、
わたしのやったことに対して“反応すること”を息子に求めちゃう自分。
お菓子をあげたら喜んで欲しいし、遊園地に連れて行ったら楽しんで欲しい。
そういう、子どもにわかりやすい反応を求めているのは大人、保護者、親の方である。
学校に行くようになればテストだったり、宿題だったり、忘れ物をしたときの言い訳だったり、受験だったり、就職だったり、もう全ては人間関係なんですけどね、この世の中は、本当に他人から求められることが多いと思う。ため息が出るほど。
人は、小さくともひとつひとつに反応して生きているはずなので、こちらに都合の良い、欲しい反応を、他人(親)は求めちゃいけないわね……
と思いつつ、今日のパンケーキはニコニコムシャムシャ食べてくれた息子。

人に反応してもらえたときの、胸のあたりがブワ〜っとあったかくなるうれしさは、素直に感じておいてもいいよね。
と思う母ちゃんでした。