息子の一升餅
息子の一歳は、一升餅を用意してお祝いすることにしていた。
親戚の農家からもらったもち米があり、杵と臼があり、薪ストーブがあり、薪があり、雪が積もった。
「これは軒先でデイキャンプみたいにして、餅つきの準備ができるぞ……」
僕の脳裏に浮かんだ素敵空間を具現化するべく、息子の一升餅は薪ストーブで蒸し、家族でつくことにした。
父親? 俺が?
この一年はほとんど記憶がない。
呼吸するのも忘れるくらいにあれよあれよと物事が進み、心だけぽっかり置いてけぼりにされているような感じだ。
父親になってどう? とか聞かれるけど、正直言って、よくわからない。
高校時代の自分と飲みに行って、乾杯直後に「俺、息子生まれたわ」と言ったら、「父親? 俺が? まじで?」と、本気で驚かれそうだ。
いやしかし子どもという存在の威力たるや。
くる日もくる日も、こんなに小さくて可愛い生き物に全身ヘトヘトにされる。
可愛いから許すけどね、父は結構くたくたよ。笑
火はそこにあるだけで人が集まる理由になる
会場が整い薪ストーブに火がつくと、通りを行き交う人が声をかけてきた。
「お、何してるんだい?」
「ああ、息子の一升餅をつくんです」
こんなやりとりを何度かして、
「火はそこにあるだけで人が集まる理由になるんだなぁ」と思った。
今回は具体的な「火」だったけど、何か火に変わる物でも家族の中心にあったら、ちょっと困った時に黙ってそこにいられる理由になりそう。
こたつとかいいよねぇ〜。
(北海道は家全体を温めるので、こたつがあるお宅の方がきっと少ない。そういう我が家にもやはりない)
というか、“なんでかわからないけど周りに人が集まってくる”という友達がいるんだけど、彼もきっと「火」みたいな存在なんだろう。
無事に一升の餅をつき、それを背負った息子はコロンコロンひっくり返った。
おめでとう、息子よ。
父は、一緒にジープとか乗ってドライブする日が待ち遠しいぞ。

息子が担いだ餅は、雑煮にして美味しくいただきました。